東京高等裁判所 昭和32年(う)1757号 判決
被告人 藤田次五郎
〔抄 録〕
控訴の趣意第一点及び第二点について。
訴訟記録及び原判決を調査するに、原判決においては、「罪となるべき事実」のうち、昭和三十二年三月三日夜被告人の次男正二が実兄山蔵に加えた原判示のような暴行は、刑法第三十六条第一項に定める急迫不正な侵害であると判示しているのであるが、原判決の認定している右正二の性行、同人の家族間のあつれき殊に山蔵夫婦に対する悪感情、兄弟間の体格、腕力の相違、正二が当夜飲酒酩酊し自制心を相当失つていたこと、同人の暴行の態様即ち二度に亘り山蔵を倒した上仰向けに同人を組み伏せ、殺してやると怒号しながら手で頸部を締めつけた事実、及びその暴行の場所、時間並びにその際同家に居合せた者は被告人以外には老婆と山蔵の妻、幼少の子だけであつた事実等を総合すると、その事態を放置するときは山蔵を殺害するの結果が発生するおそれがあつたものと認められるから、正二の右所為が他に保護、救助を求める余裕又は方法のない切迫した攻撃即ち前記法律の急迫不正の侵害に該当すると認定した原判決の判断は妥当である。ところで原判決は更に進んで、被告人が正二の右暴行を目撃し、これに憤慨すると同時に山蔵の危急を救おうとして、原判示木槌をもつて正二の頭部を強打した行為について、「山蔵に対する正二の攻撃の質と程度は先に判示したとおりではあるけれども、被告人が直ちに木槌をもつて強打しなければ、山蔵の生命が救えないという程に強度のものであつたとまでは認められない。正二は体格体力共に優つていたとはいえ、素手であり酩酊していたのであるし、その攻撃は専ら山蔵に向けられており、被告人は身体的に自由なのであるからして、相当高齢(六十三年十一月)とはいえ未だかくしやくたる被告人としては、山蔵と二人がかりで正二の攻撃を中止させる様努めるとか、自ら或いは家族をして近隣の者または警察官を呼びにやる等の措置をとることはできないわけでなく、それ程困難でもなかつた」として被告人の行為は防衛行為として相当でない、いわゆる防衛の程度を越えたものと認定しているのであるが、右認定事実のうち「自ら或いは、家族をして近隣の者または警察官を呼びにやる等の措置をとることができないわけでなく、それ程困難でもなかつた」との認定は、事実を誤認したものであるのみならず正二の攻撃による山蔵の生命の危険は、時間的に左程切迫した状況になかつたことをあらわすものであつて、その侵害が急迫であることの認定と矛盾していること、まことに論旨指摘のとおりである。しかし原判決を精続すると、原判決は右のような時間的余裕あることによつて、被告人の行為が防衛行為として相当性を欠くと判断したのではなく、原判決の過剰防衛の判断の基礎となつた事実は正二の攻撃の質と程度、即ち正二は酩酊しながら、屋内で、素手で、山蔵の頸部をしめているのであり、一方、被告人は正二から攻撃を受けず自由な体勢にあり、且つ老令とはいえかくしやくたるものであつて、なお同家には山蔵の妻等の家族も居たという事実であつて、これらの事実からみて、山蔵の危急を救うためには、木槌をもつて正二の頭部を強打し、同人を死に至らしめる程度の反撃を加えなくとも、他の方法又は程度による反撃で十分であつたに拘らず、右のような所為に出たのは防衛行為として相当性を欠くという趣旨の判断をしたものと解することができるのであつて、ただ原判決の判文がやや正確を欠き、杜撰であつたため、被告人のその際とり得べき防衛の一方法として、前記の如き誤認した事実をも誤つて例示したものというべきである。而して原判決において認定している当時の客観的状況即ち正二の暴行の場所、時間、正二、山蔵及び被告人の各体勢、行動等を総合して考えると、被告人が山蔵の危急を救おうとして木槌をもつて同人の頭部を死に至らしめる程強打した行為は、防衛行為としてやむを得ざるに出でたものとは認められず即ち相当性を欠くと判断したのは正当であつて、原判決の右認定事実とこれに基く判断とは、侵害が急迫のものであつた事実と何等矛盾するところはない。それ故、たとえ原判決の事実の認定の一部に前記のような瑕疵があつても、原判決は全体としてその理由にくいちがいの違法あるものではない。
また次に、被告人の本件所為が、正二の平素の行状と本件の暴行とに憤慨したためと、山蔵の危急を防衛する意思に基くとの原判決の認定は矛盾した事実の認定であるとの論旨であるが、右のような憤慨の感情と防衛意思とは、必しも両立し得ない心理とはいえないから、原判決の右認定には何等矛盾はなく、従つてこの点についても、原判決には、所論のように理由にくいちがいありとは認められない。
すでに右のとおり被告人の本件行為が、正二の急迫不正の侵害に対し、山蔵の権利を防衛するためになされたものではあるが、その防衛の程度を越えたものと認定する以上、これに対し刑法第三十六条第二項を適用するのは至当であり、原判決には所論のような法令の適用を誤つた違法も存しない。論旨はいずれも理由がない。
(中村光 久永 鈴木)
註 本件破棄は量刑不当